コラム

東昭齊秀月モリヤ人形店に聞く、川越まつりの歴史~川越まつりの成り立ち~

2018.10.12

みなさんこんにちは
前回に引き続き、東昭齊秀月モリヤ人形店守屋様から『川越まつり』の歴史についてお話し頂きました。

川越まつりの歴史

「1648年に当時の城主松平信綱が神社に祭り道具を寄進し、神主と一緒に町を回るよういなったことが川越まつりのはじまりといわれています。」

慶安元年(1648年)、当時の城主松平信綱が城下に賑わいがないことを憂いて、祭りの執行を推奨し、祭り道具(神輿2基・獅子頭2体・太鼓など数点)を川越氷川神社に寄進しました。その後、慶安4年(1651年)9月25日、初めての『神幸祭』が行われ、これが一般に『川越まつり』の起源とされているとのことです。
『川越まつり』といえば絢爛豪華な山車で有名ですが、最初からあったわけではないようです。

「山車が登場したのはもっと後で、神田祭に憧れた商人が持ってきたものです。
一番古い山車は仲町のもので、文久2年(1862年)に神田で作られたものです。」

川越で最も古い仲町の山車は1862年に商人が神田で作らせたものを船で運んできたそうです。

守屋様のお話しによると、川越の商人は江戸志向で神田祭に憧れていて、財を成した商人が江戸型の祭りを川越に持ってきたそうです。
山車は神田の真似をして作られたもので、特徴は山車の高さを上げ下げできるところです。これは、山車が江戸城の門を通るには高すぎてくぐれないため、くぐれるように高さを上げ下げできるようにしてあり、その流れが川越の山車にも継承されているとのことです。

川越には29の山車がありますが、多くは昭和になってから作られた物で、仲町のような江戸時代に作られた江戸志向の山車というのは大変希少とのことです。

お囃子も神田囃子を真似していて、付き合いのあった農家に習わせていました。
農家の繁栄を祈願するために独自に行っていたため、川越まつりは農村の演武が多いとのです。
お囃子は年中練習されているとのことですが、楽譜がないため伝承するのが大変とのことです。

いかがでしたか。
次回は『川越まつり』と東昭齊秀月モリヤ人形店の関わりについてお話を伺います。


この記事は東昭齊秀月モリヤ人形店の守屋様監修のもと作成しています。
記事の内容について詳しく知りたい方は東昭齊秀月モリヤ人形店にお問い合わせください。

東昭齊秀月モリヤ人形店
〒350-0065 埼玉県川越市仲町3-8
電話番号:049-222-0013


参考文献
『川越祭 国指定重要無形民俗文化財 川越氷川祭の山車行事』(川越祭を学ぶ会 編・街と暮らし社)2005年(平成17年)9月発行

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