コラム

正生会長と徳安社長の対談(前編)

2022.12.01

徳安社長(以下、徳安):
対談という程大げさなものではないのですが…(笑)
今日は、株式会社徳英(以下、徳英)版 ”今昔物語” が語れればと思います。
前回のコラムよりも、もう少し踏み込んだ内容になっておりますので、お楽しみ頂ければと思います。
改めて、徳英は今年で47年目を迎えましたが、会長から見て、昔と今はどのように見えますか?

正生会長(以下、正生):
日本で「がん保険」が発売された48年前は、死亡原因のトップに『がん』がなりました。
アメリカンファミリー ライフ アシュアランス カンパニー オブ コロンバス(現AFLAC生命保険)が日本で「がん保険」の販売を始めたのはまさにその頃。
“がん家系”である事を強く認識していた吉澤家としては、この保険に高いニーズを見出し、代理店を始めることを決意しました。

徳安:
当初のがん保険の販売は如何でしたか?

正生:
アメリカンファミリー生命保険を独占的に販売できましたが、会社の知名度がなかったことと、死亡原因の1位になったとは言え、まだまだ自分が『がん』に罹患すると考える人は非常に少なく、販売にはとても苦労しましたね。
当時は今の事務所もなくて、家が仕事場。一人でコツコツと営業していましたね。
車の免許を取ったのが42歳くらいの頃なので、それまでは、外交に自転車を使っていました。
娘時代から乗り慣れてきた移動手段です。
自転車で30分かけて学校に通っておりましたから(笑)
免許は、83歳の時に息子夫婦に返納させられましたが、自転車ライダーとしては、今も現役です!

徳安:
(苦笑い)
どんな事で苦労されましたか?

正生:
当時、『がんに罹患する=死んでしまう』と諦めた思いを持つ方が多かったです。
ですので、罹患した時、入院した時、手術した時、通院した時の為に給付金を受け取れることの必要性を理解して頂くことに苦労しました。

徳安:
その後、「がん保険」のニーズもますます高まり、AFLAC生命保険の知名度もあがり、徳英も従業員が増えました。
しばらく、女性だけで会社を切り盛りしていましたよね?

正生:
「がん保険」の潜在的なニーズの高さへの関心もありましたが、『これからの家族は、ダブルインカム時代になる』という考えも持っており、子育てが楽になっている親戚の主婦の方々にお声がけし、会社を手伝って頂きました。25年位は女性だけでしたね。
当時のお客様には、今でも女性のみのイメージがあるようで、男性社員がいることに驚かれます(笑)

徳安:
「がん保険」を選び、主婦による営業等、かなり先見性を持った会社経営を試みてきたんですね?

正生:
「がん保険」に可能性を見出した、亡き主人のことを今でもすごいと思います。
私もお客様と関わり続けて、『がん』が不治の病と思われている限り、罹患した方の関心は死亡保障にあり、病気療養期間の出費については、主婦の持っている生活感に訴えていくことが重要だとわかってきたのです。
そういった意味でも、親戚や知り合いの主婦の方々に手伝って頂けたことは、大変幸運だったと思います。

次回に続く



【おまけ】

カンタン1
無料相談
保険に関するお悩みは、お気軽にご相談ください
無料相談・お問い合わせはこちらから
LINE@ お問い合わせ 無料
LINEからのお問い合わせも受け付けております
お問い合わせはこちら
お見積り・資料請求
アフラック商品のご案内、お見積り・資料請求はこちらから
メールフォームはこちら