コラム

新1万円札の顔、渋沢栄一とはどんな人

2019.04.15

こんにちは
徳英の菊地です。

埼玉県人なら一度は名前を聞いたことがあるでえあろう、新1万円札の肖像画に決まった渋沢栄一とはどんな人物か調べてみました。

渋沢栄一の略歴

渋沢栄一は1840年2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)の農家に生まれました。
家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に『論語』などを学びます。

1867年、15代将軍となった徳川慶喜の実弟で後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。

明治維新となり欧州から帰国した栄一は、『商法会所』を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。

1873年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。
そのスタートは『第一国立銀行(第一銀行、第一勧業銀行を経て、現:みずほ銀行)』の総監役(後に頭取)でした。
第一国立銀行ほか、東京証券取引所、東京瓦斯(東京ガス)、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、帝国ホテル、キリンビールなど、多種多様の企業の設立に関わり、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。

また、渋沢栄一の訓話を集めて発行された『論語と算盤(そろばん)』で、利益の独占を戒め、社会に還元すべきだとする『道徳経済合一説』を説き、東京慈恵会、日本赤十字社、商法講習所(現一橋大学)など約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力しています。

これらの功績から『日本資本主義の父』と称されています。

いかがでしたか?
埼玉県出身の偉人が、新しい1万円札の顔に選ばれるのは同じ埼玉県人として誇らしいことですね。

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